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新潟も劇団増えましたね~。私が最初に活動していた頃は手の指で足りる程度しかなかったと思います。年とったもんです。
ZANTO結成のきっかけは、2008年の爆男倶楽部プロデュース公演でした。
当時、爆男倶楽部は劇団の小屋を持っていて、プールを作ったり、雨を降らせたり・・・なんでもアリなテント芝居並みの小屋でした。
メンバーが高齢化(笑)に伴い、公演も年に数回だったのが、1回に減り、ついには予定すらなくなってしまった。
爆男倶楽部は主催の能勢さんあってのものなので、脚本がないと芝居ができない。
でも、みんな芝居がしたい!でも、いい年したオッサンたちは、まとめ役がいない!
後藤さんに一緒にやらないかと声をかけられたのが2008年の公演。
脚本はまかせると言われたので考えました。
かといって、私に脚本を書く才能なんぞない!
私は当時、松尾スズキのことは全然知らなくて、脚本も実はヤフオクでさがしてました。(本日初告白)
タイトルがかなり怪しかったので、もともとアングラな私はすぐにくいつきました。あ、これしかないなと。
案の定、半分芸人気質な爆男メンバーも「おもしろいじゃないか!」と誰も反対せずにGO!
その公演後、諸事情により、爆男倶楽部は20数年の活動に幕を下ろしました。2008年の公演が爆男倶楽部の小屋「NEOS」最後の公演となりました。
その1年後に、再び「またみんなでやらないか」と再集結。
私たちは拠点を五十嵐劇場にうつして公演することになりました。
余談ですが、その後、練習拠点を東区市民劇団の万代稽古場へ移しましたが、五十嵐劇場は去年、万代稽古場は今年閉めることになりました。
もしかして貧乏神劇団なのか?
話を戻し・・・「う~~ん・・・これからも活動するなら劇団名必要じゃない?」ってことになり、「プロジェクトB@ZANTO」が生まれました。
「B」は「爆男」の「B」。「ZANTO」は「爆男倶楽部の残党」。
他にもいろいろ名前の候補はありましたが、私の中では爆男倶楽部をどこかに残したいという気持ちもありましたね。
爆男倶楽部の芝居とは180度違いますが、みんな楽しんでやれています。
コンセプトは「初めて芝居を見る人でも笑えて楽しめる」です。
最近、メンバーも高齢化(さらに)してきて、毎年キツいんですが、アンケートに「新潟にはない芸風なので続けてほしい」「いい年した連中が全力でバカなことをやっているのが励みになる」「自分にはできないからうらやましい」などのお言葉をちょうだいすると「まだまだ頑張らねば!」という気持ちになります。
​新潟にはまだまだ私よりも年上の先輩が頑張っているので、せめてその年までは続けたいものですなぁ。

​                             2017年4月
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